人生にはいろいろなことがあるものです。
なかでも子どもを自死で亡くした事は、取り返しのつかない大きな痛手になっていて、何年経っても、心の傷に触れるたびに、血が滲んでくるのを感じます。
死別の悲しみは、自分の力ではどうすることもできないものでした。
更に年を重ねるごとに、生老病死の苦しみが波のように押し寄せてきます。自分に残された時間をどう生きるか? これもまた自分の前に立ちはだかる難問です。
三年前に、私は人生の先輩と偶然に再会しました。
当時の私は、暗闇の中で生きる意味を見失い、うつ状態でした。
「どうしたの? よかったら話してみない?」と先輩に声をかけてもらったことで、話しを聴いてもらうようになりました。
今まで自分の気持ちを話すことはほとんどなく、いつも心に重いフタをして、外の人には仮面を被って平静さを装ってきたのです。
そこでは何でも思いつくことをそのまま、口にすることが出来ました。まるで幼い頃にした砂遊びのように自由で。
また時にはネガティブな話しもポツリポツリと・・・。
恨みや妬み怒りまで・・・。先輩はいつも受け止めてくれ、
話しの後には仏典から言葉を拾って示してくれたりもしました。
話しを聴いてもらう、受け止めてもらうことで、自分の中に秘めていた弱さも愚かさも自分のものと思えるようになりました。
自分を許して和解することができたのかもしれません。
自分の思いを素直に表現することができて、とてもラクになりました。
自分が変わると、周りとの関係も変わってきました。
話しを聴いてもらうことで、自分をあるがままに受け止められたことで、自分の中に成長しようとする力が内在していることを感じることが出来るようになりました。
子どもを亡くしてからの道のりは、すべて用意されていたように感じます。悲しみと喜びを背負いながら最後まで歩いて行けますようにと願いつつ、ちょっぴり幸せを感じている私です。
おこめ