夏が来ると思い出す

私は8月生まれ。それゆえ小学校の頃からお誕生日会には縁がない。夏休みど真ん中だからだ。

そのかわり母の実家についていき、騒がしいおばたちと共に過ごした。広島長崎の記念日、終戦記念日、お盆の時期と必ず重なり、合掌と黙とうとお線香の香りがしていた。母の実家がある県は海がない。だから夏は誕生日ケーキでも海水浴でもなく、強い日差しとお線香のけむりだ。

 そのせいなのか、今でも寺巡りは好きで、お線香の香りもとても落ち着く。

仕事柄、電話相談が多く、報告書はパソコン入力、両耳にはヘッドセットをつけっぱなしでいると、一日の終わりは目も疲れるし耳鳴りも出る。帰宅ラッシュでスマホも見たくないし、あまり音楽も聴きたくない。

 そんな時、心のリセットは香りである。バッグにも香水は忍ばせていたし、夜、良い香りの中で深呼吸すると緊張がほぐれていく。

 まだ住宅地に自然が残っていたころは、街にも季節ごとに香りがあふれていた。近所の庭の金木星や沈丁花、くちなし、バラ、夕立の初めの埃くささなど、心をすっと緩めてくれた。自分が用意する香りはその代わりにもなっている。

 

 

ところが昨年の8月の誕生日はいつもと違った。コロナの第五波で私も家族も感染したのだった。職場で食べた昼食は味がしたが、帰宅後、テイクアウトの寿司は粘土のようで、お風呂のシャンプーも臭いがなかった。それからは自宅療養で、嗅覚はゼロになり、味に関しては誤作動というかすべてが変な味に変わった。

 結局、それは年内続いた。治療もなく医師も「待つしかない、慣れてね」という。しかしそれでも医学的には軽症であり「良かったね」と言われる。なんとも複雑な気持ちだ。

 自分でもびっくりしたが、味見もせず香りもわからなくても料理はできた。食材の鮮度は目で確かめて、塩加減は指が憶えている。もちろん私は味を楽しめないが。

 自分の変な才覚に驚き、たくましさに感心した。それでも一生感覚が戻らなかったら、なんと味気ない暮らしになるだろうという不安は消えなかった。家族と「おいしいねえー」と言い合えないってこんなにさみしいのか。

 

 それから半年、現在は幸い感覚は戻り倦怠感もほぼ消えた。でも一回味わった「感覚を失う暮らし」は忘れたくない。突然の病気によって、その人の人生から永遠に消えたものや、変えないといけないことがあり、治療後も元通りでは決してない。そのことも忘れたくない。

 でもその違いは本人しかわからない。自分自身も当時、今までの生き方を考え、変えることはあった。まず自分の命と暮らしの優先。当たり前だけど、無理をしがちだった。

だから今年はそんな報告もかねて、お盆に戻るはずの母や口やかましいおばたちを、少しばかり贅沢なお線香でお迎えしたいと思っている。

当時のおばたちより年上になった私、「ずいぶんすごい世の中になってるねえ。でも結構頑張ってるじゃない?」と言ってくれる気がする。

 

たまこ