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ロック少女は永久に

先日、クローゼット奥から段ボールを一つ出した。そこにはロックコンサートや小劇団の芝居パンフレットが詰まっている。本当はすっきり捨てようと思っていたがやはり記憶が絡むと中々決心がつかない。だから何十年も保管していた。

 

そこで「欲しいものはあげる」と妹を呼んだ。特にパンフレットの大半は私が高校生、妹が中学生の時で、「これは昼休み高校の公衆電話からチケット取ったっけ」「これは初来日で武道館だ」と思い出話が止まらない。話すことで記憶が鮮明になり、結局また段ボールの中身はあまり減らすことができなかった。

 

あれから約45年、ロック少女の内面はあまり変化していない・・・つもりだが、当時のあこがれのスターはどんどん鬼籍に入っている。確実に時間は流れているのだ。

 

 

当時と今の私はどう変わったか考えてみる。一つは暮らし方・・。還暦も過ぎ、特に昨年は「体調と生活の見直し」が優先だった。仕事で忙しいと一見充実しているが健康診断の数値は侮れない。医師の「しんじゃうぞ!」は無視できない。まだ天国のフレディに会いたくはないし。

 

それから変化の二つ目は心の持ちよう。ずいぶんユルくなっている。

 

思えば中年になった当たりから大切なのは「努力と前進」だけでなく「立ち止まる、振り返る、止めてみる、変えてみる」という気持ちだと思うようになった。これは逃げでも撤退でもなく柔軟さだよと。

それに人生って脇道だらけで、実は表通りより楽しかったりするようだ。まっすぐ進むよりウロウロする方が変化と刺激に富んでいる。

 

最後の三つめは私自身ではなく世の中の変化。今は世界中のイベントチケットがネットで取れる。便利に見えるけれど、その分流れる情報を処理できず、判断を間違えると昔より危険は大きい。自分を守るっていくつになっても重要だと気付く。そしてロック少女は自分で自分を護らないとね。

 

便利で世界も狭くなり、私も経済的には当時より豊かになった。でも学校の公衆電話で、10円玉を握りながらダイヤル!を回し続け、電話が通じた時の興奮は今の比ではない。

 

なんと主体的で行動的であったろうか。おかげでどれだけ伝説のスターと出会ったか。

あの主体性は自由の証、そこは失いたくない。膝が痛くてヒールさえ履けないけれど、今後もロック魂を胸に、いまだ知らない人生の脇道、新しい刺激をウロウロ(へろへろ?)と探索したい。

 

 

                                     たまこ